Review: Paul McCartney’s Yesterdays. All of Them.

NYタイムズ紙のレビュー。

http://www.nytimes.com/2016/05/06/books/review-paul-mccartneys-yesterdays-all-of-them.html?_r=0


こちらのほうがニュートラルなレビューですね。米国(ビートルズの生まれ育った国ではない)ゆえか、紙面の性格上か。
その両方でしょうかね。
メニー・イヤーズ・フロム・ナウもずっと読んでみたいと思っているのですが、絶版なんですよね。電子で復刊してほしいなあ。


以下素人訳。



ポール・マッカートニーの昨日たち。そのすべて。


フィリップ・ノーマンの「シャウト!ザ・ビートルズとその時代」(1981年)は彼にとって重要なビートルズ初期の伝記であるが、ジョン・レノンのファンからは愛情を抱かれたが、ポール・マッカートニーのファンからはそうでもなかった。ノーマン氏は反抗的なビートルの側に立っており、美しい旋律に満ちた可愛らしいビートル側にではなかった。マッカートニー氏はこの本をひどく嫌い、そのタイトルを下品な婉曲表現で間違って発音するのを楽しんだという。


35年後、償いをするかのごとく、ノーマン氏は「ポール・マッカートニー、その人生」を上梓した。膨大で、共感の念を持った本であり、マッカートニー氏の暗黙の了解のもとに書かれている。ノーマン氏の「ジョン・レノン、その人生」(2008年)のある種対として、一連の論を進化させるにあたり、あたかもチーズのスライスのようにマッカートニー氏の70年以上を非常に精緻に描いている ― とりわけ、ビートルズの一員として、マッカートニー氏は、外交的で耳ざわりがよいのと同じくらい、知的でありアバンギャルドであった。


レノン・アンド・マッカートニーは、ともに偉大なソングライターであり、20世紀の最も重要な文化的大物の一人だ。単独では、マッカートニー氏は「歴史に過小評価されてきた」と筆者は示唆する(私たち全員にがそうしたわけではないととみな答えがちだ、スポティファイで「アビーロード」メドレーや「ペニーレイン」をリストにいれているのだから)。


この本は必要だっただろうか?マッカートニー氏の伝記は数多くある、バリー・マイルズ著作の「ポール・マッカートニー、メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」(1997)からもっと最近ではピーター・A・カーリンのものやハワード・ソーンズのものまで。


マイルズ氏の本は、基本的にはビートルズの解散で終わることにノーマン氏は言及する。マイルズは、マッカートニー氏のビートルズ以降の時代のすべての年代について記述することを果たしている。理論上は興味深いアイデアだ。実際には、トール・ヘインダール(注・ノルウェーの冒険家、人類学者)の「コン・ティキ号の漂流航海」(注・同氏が1947年にイカダでペルーからポリネシアまで8千km弱を航海した)以降の人生や、エドモンド・ヒラリー(注・ニュージーランドの登山家。人類初となるエベレスト山頂到達に成功した)の、エベレスト以降の人生についての伝記を読んでいるようだ。頂点以降―すなわちビートルズ以降―のすべてが、尻すぼみのように感じることを禁じ得ないのだ。

ポール・マッカートニー、その人生」は、マッカートニー氏のビートルズ以降のバンド、ウイングスの陣容の変遷について詳細に知りたいならば読むべき本である。マッカートニー氏の慈善事業や彼の騎士道精神、田舎に暮らす嗜好、絵や詩作クラシック音楽の作曲をかじっていることなどについて豊富なディテールで描写している。


彼の映画製作(見るに堪えない「ヤア!ブロードストリート」)への冒険や、マイケル・ジャクソンとの共作(「セイ・セイ・セイ」)、シルクドソレイユのビートルズ曲をベースにしたショーの成功についても説明している。それはまさしく、この本でのビートルズについてのマテリアルによる多幸感のあとでは、ロング・アンド・ワインディング・ロード〜長くつらい歩みである。

著者は、マッカートニー氏の切れるビジネスマンぶりに周到な注意を払っている。利益のあがる音楽出版会社を買収し、と同時に、マイケル・ジャクソンに対してビートルズ音楽出版権を失い、大変失望した。ビートルズのレコード会社をアップルと名付けたのはポールのアイデアで、お気に入りのマルグリットの青リンゴの絵からとった。アップルコンピュータが現れたとき、使用権として、ビートルズに王にふさわしい金額を支払ったものだ。ビートルズはお互いにどんどん訴えあったが、ノーマン氏はその組み合った訴訟のもつれを解いていく。

この本の後半における温かみの大半は、マッカートニー氏の30年近くに及ぶリンダ・イーストマンとの結婚の描写からきている。おもとして田舎での暮らし―裸足の子どもたち、羊の毛皮刈り、ベジタリアン料理―は、偽りのない、犬の毛に覆われた幸福の素晴らしいディテールに満ちていた。


ノーマン氏はマッカートニー夫人のミュージシャンとして公人としての欠点に注意を見逃さない。(「彼女の物静かな斜めの魅力は、半径1.5mの外には届かない」と彼は書いている。)しかし、彼はこうも言う「彼女はまさに彼の運命の人だったとみんなが認めている、ちょうどヨーコがジョンにとってそうだったように」。

マッカートニー夫人は乳がんのため1998年に死去した。マッカートニー氏のヘザー・ミルズとの6年間の結婚というひどい災難

(以下作業中)