Studying in the Tour.

ベルリン公演ステージ上での会話の音源を聞かせていただいたので、内容を以下にメモ。
間違いなどありましたらご指摘いただけると幸いです。二か所、よく聞き取れなかったところがありました。

P -Alright,now, sometimes we get someone out of the audience on stage with us.
  So I wanna see who we got tonight. Let's see who we've got here. Come on. On stage.

P -Where're you from?
J -I'm from Japan.
P -You're from Japan! What's your name?
J -My name is Junya.
P -Junior? Hey,Junior.Junior's Farm.
  Alright.Now.What you say...Wait a minute, look at this line.
 "My son skipped 5 days of Schoolin Japan. Please sign his absence card."
 JUST THIS ONCE!
 Absence Request. June 13th.
 Absence Reason. Study Tour.
 Are you studying in the tour?
J -Yes.
P -The Answer is Yes.
 When your teachers say,"Did you study the tour?", you say "YES"!
 "Such as Music, English, History.(不明) I go to Berlin to see the great.." "Oh."
  Here it is. OK. Here we go.

P -I wanna talk to you. What's your name.
T -Takushi.
P -Ok,Tatsushi. This is a very bad thing you have done. You know that.
He's a very bad father. But if he's studying in the tour, this could be very good.
OK.(This is yours.←歓声で聞き取れず)
OK, See you,guys! SAYONARA. Alright.
Do not do this with your children!

誤訳?

I'm amazed the way you pulled me out of time and hung me on the line


これはくせ者というか、訳出しにくい、意味の取りにくい歌詞だと思います。
ざっとあまたの個人ブログ(和訳ブログ)など見ても、皆さま思い思いに情感を込めて訳してらっしゃる。


ただ、ひとつの単語から、前後の単語を軽視してなんとなく雰囲気で引っ張って来てしまったのかな?ととれる訳もあって、これは誤読につながる危険性が高いのではないかなあと考えます。解釈はひとそれぞれ、でいいのかもしれませんが、個人的には、なるべく、元の語に敏感でいたいかな、と。


そういう意味では、最新のベスト盤についているという訳は、一語一語を読み込んで考えた訳だな、とわかります。
洗濯ロープに〜というのが論争を呼んでいるようですが、誤訳と言い切ってしまうのは気の毒な気がします。
翻訳をする人というのは、いろんな可能性や前後のつながりを考えて訳語の選択をしているわけで、逐語的に訳したわけではないと思うのです。
逆に、ここが「慰めてくれた」という意味だと言っている方は、全体のテーマに引っ張られ過ぎているんじゃないのかなあ。


私は、シンプルに、「へんなタイミングで僕を惹きつけた(ひっぱり出した、でも)、それでぼくをひもにかけてみせた」でもいいんじゃないかなあと思うんです。でもそれだとあまりに意味が不明瞭だから、洗濯ロープってしたんじゃないのかなあ。
ほかの曲の訳は見てないのですが、この曲に関しては、余計な色をつけないように苦労した跡が見て取れると思います。


ポールがリンダに出会って惹かれて、リンダのほうもひょいっとポールを選び出して、ちょっとそのへんに(わかるように、目立つように)かけた、って感じなのかなあ、とも。
私も、「時間のうねりのなかから(引きこもってた)ぼくを助け出してくれた」とかかと思ってたんですが、それだと後ろの意味がうまくつながらなくて。andぼくをlineにhungした、の。「引きこもってた僕をお日様にあてて乾かしてくれた」の可能性もあるかもですが。

※電話と言っている人がいますが、それだとyou hung me up on the lineとupが要るんじゃないのかなあ。



というわけで、洗濯ロープには必ずしも批判的ではないわたしですが、前述最新訳その前段のmaybe I'm afraid of the way I love youを「君を愛するのがこわい」とした、これには批判的です。

「愛するのに躊躇する」と取れてしまうのでこれは明らかに訳出不足だと思うのです。「愛しているのがこわい」とすればいいのかな。こんなに愛して、必要としてしまっている自分が怖いということだと思うので。


美しいですよね、本当の愛に出会ったんじゃないか?と戸惑いつつ、ものすごく彼女を必要としていくという。
My Loveも同じテーマの曲ですね。本当にじんとする歌詞です。

Review: Paul McCartney’s Yesterdays. All of Them.

NYタイムズ紙のレビュー。

http://www.nytimes.com/2016/05/06/books/review-paul-mccartneys-yesterdays-all-of-them.html?_r=0


こちらのほうがニュートラルなレビューですね。米国(ビートルズの生まれ育った国ではない)ゆえか、紙面の性格上か。
その両方でしょうかね。
メニー・イヤーズ・フロム・ナウもずっと読んでみたいと思っているのですが、絶版なんですよね。電子で復刊してほしいなあ。


以下素人訳。



ポール・マッカートニーの昨日たち。そのすべて。


フィリップ・ノーマンの「シャウト!ザ・ビートルズとその時代」(1981年)は彼にとって重要なビートルズ初期の伝記であるが、ジョン・レノンのファンからは愛情を抱かれたが、ポール・マッカートニーのファンからはそうでもなかった。ノーマン氏は反抗的なビートルの側に立っており、美しい旋律に満ちた可愛らしいビートル側にではなかった。マッカートニー氏はこの本をひどく嫌い、そのタイトルを下品な婉曲表現で間違って発音するのを楽しんだという。


35年後、償いをするかのごとく、ノーマン氏は「ポール・マッカートニー、その人生」を上梓した。膨大で、共感の念を持った本であり、マッカートニー氏の暗黙の了解のもとに書かれている。ノーマン氏の「ジョン・レノン、その人生」(2008年)のある種対として、一連の論を進化させるにあたり、あたかもチーズのスライスのようにマッカートニー氏の70年以上を非常に精緻に描いている ― とりわけ、ビートルズの一員として、マッカートニー氏は、外交的で耳ざわりがよいのと同じくらい、知的でありアバンギャルドであった。


レノン・アンド・マッカートニーは、ともに偉大なソングライターであり、20世紀の最も重要な文化的大物の一人だ。単独では、マッカートニー氏は「歴史に過小評価されてきた」と筆者は示唆する(私たち全員にがそうしたわけではないととみな答えがちだ、スポティファイで「アビーロード」メドレーや「ペニーレイン」をリストにいれているのだから)。


この本は必要だっただろうか?マッカートニー氏の伝記は数多くある、バリー・マイルズ著作の「ポール・マッカートニー、メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」(1997)からもっと最近ではピーター・A・カーリンのものやハワード・ソーンズのものまで。


マイルズ氏の本は、基本的にはビートルズの解散で終わることにノーマン氏は言及する。マイルズは、マッカートニー氏のビートルズ以降の時代のすべての年代について記述することを果たしている。理論上は興味深いアイデアだ。実際には、トール・ヘインダール(注・ノルウェーの冒険家、人類学者)の「コン・ティキ号の漂流航海」(注・同氏が1947年にイカダでペルーからポリネシアまで8千km弱を航海した)以降の人生や、エドモンド・ヒラリー(注・ニュージーランドの登山家。人類初となるエベレスト山頂到達に成功した)の、エベレスト以降の人生についての伝記を読んでいるようだ。頂点以降―すなわちビートルズ以降―のすべてが、尻すぼみのように感じることを禁じ得ないのだ。

ポール・マッカートニー、その人生」は、マッカートニー氏のビートルズ以降のバンド、ウイングスの陣容の変遷について詳細に知りたいならば読むべき本である。マッカートニー氏の慈善事業や彼の騎士道精神、田舎に暮らす嗜好、絵や詩作クラシック音楽の作曲をかじっていることなどについて豊富なディテールで描写している。


彼の映画製作(見るに堪えない「ヤア!ブロードストリート」)への冒険や、マイケル・ジャクソンとの共作(「セイ・セイ・セイ」)、シルクドソレイユのビートルズ曲をベースにしたショーの成功についても説明している。それはまさしく、この本でのビートルズについてのマテリアルによる多幸感のあとでは、ロング・アンド・ワインディング・ロード〜長くつらい歩みである。

著者は、マッカートニー氏の切れるビジネスマンぶりに周到な注意を払っている。利益のあがる音楽出版会社を買収し、と同時に、マイケル・ジャクソンに対してビートルズ音楽出版権を失い、大変失望した。ビートルズのレコード会社をアップルと名付けたのはポールのアイデアで、お気に入りのマルグリットの青リンゴの絵からとった。アップルコンピュータが現れたとき、使用権として、ビートルズに王にふさわしい金額を支払ったものだ。ビートルズはお互いにどんどん訴えあったが、ノーマン氏はその組み合った訴訟のもつれを解いていく。

この本の後半における温かみの大半は、マッカートニー氏の30年近くに及ぶリンダ・イーストマンとの結婚の描写からきている。おもとして田舎での暮らし―裸足の子どもたち、羊の毛皮刈り、ベジタリアン料理―は、偽りのない、犬の毛に覆われた幸福の素晴らしいディテールに満ちていた。


ノーマン氏はマッカートニー夫人のミュージシャンとして公人としての欠点に注意を見逃さない。(「彼女の物静かな斜めの魅力は、半径1.5mの外には届かない」と彼は書いている。)しかし、彼はこうも言う「彼女はまさに彼の運命の人だったとみんなが認めている、ちょうどヨーコがジョンにとってそうだったように」。

マッカートニー夫人は乳がんのため1998年に死去した。マッカートニー氏のヘザー・ミルズとの6年間の結婚というひどい災難

(以下作業中)

Paul McCartney by Philip Norman review – the Beatle finall

伝記作家フィリップ・ノーマンの最新作であるポールの伝記に対するガーディアン紙のレビュー。
https://www.theguardian.com/books/2016/may/28/paul-mccartney-the-biography-by-philip-norman-review

ガーディアンなので当たり前かもしれませんが、非常に英文的で、新聞紙的文体で、読んでいて面白かったので訳してみました。ついでに、やはり英国的。英国高級紙は語彙が難しくて、大変勉強になります。
新聞を読みつけていない素人訳なので、大変へたくそなのですが、雰囲気が伝われば。




フィリップ・ノーマンによるポール・マッカートニー − このビートルはやっと正当に評価された
〜ノーマンはジョン・レノンこそがビートルズのキーメンバーだという考えを一般的にした評論家のうちの一人だ。欠点はあるが力強い新たな著書の中で、彼はその誤りを認めた〜

(写真キャプション)洗練された空気…ツアー中のポール・マッカートニー。1966年。写真:Fiona Adams/Redferns。


フィリップ・ノーマンによるビートルズの伝記「シャウト!ザ・ビートルズ」は100万部以上を売り上げた。ジョン・レノンが殺害されて間もない1981年に出版され、ノスタルジアのうねりによって支えられた。うねりは、続いて、限界を超えた最初のビートルズ崇拝を引き起こし、それは今となっては全世界でのポップカルチャーにおける不動の重要なパートとなった。ノーマンはおそらく最初にビートルズ現象を文芸的観点から見た − 本の中で、ビートルズのキャリアを願望、獲得、保持、浪費の4つの時期に分け、ちらちら光る散文体で彼らの物語を語った。しかし、「シャウト!」には一つ重大な欠陥があった。ポール・マッカートニーへのぎらぎらしたバイアスだ。それによりポールはにやにやと作り笑いをした極端に自己中心的な人物として描かれ、それに対応してレノンには過度に寛大な眼差しが向けられ、ノーマンはのちに彼が「ビートルズの3/4」を代表していると主張した。


ノーマンは続いて「ジョン・レノン:その人生」を書いた。8年後の今となっては、この当時の新作はまったくのなまくらで不徳の致すところと紹介される。今、ノーマンの語るところでは、彼のマッカートニーへの手厳しさは、かつて一度は彼を称賛していたのみならず、なんとかしてそこまで行きたい、彼の場所にいたいと思った反動である。今、彼はこう書く―「正直になるなら、彼になりたいと願った何年もが、漠然とぼくに、この借りはいつか返さねば という思いを残した」。今、彼は寛大な視点を持ち、そしてマッカートニーの「黙認」(資料や情報の助力はするが、直接は関わらない)を得て、レノン本のもう一方の片割れを書き上げた。


ノーマンはうらやましいほどに熟練した肖像「書」家であり、その申し分のない能力で「左利きのベースプレイヤーの、その繊細な顔と雌鹿のような眼はともすると女の子っぽいが、夕方になると伸びてくるひげがあごのラインにかかりそれを打ち消す」という像を魔法のように想起させる。マッカートニーはグループの礼儀正しい「PRマン」を務め、「洗練」の空気を持ち、部分的には母メアリーにさかのぼって起因する礼儀作法への主張があったと彼は正確に観察する。メアリーが助産婦であったという事実は、マッカートニー家が近所より数段階級が上であると見られていたことを意味するとノーマンは指摘する。比較的中産階級であったレノンの代理母、ミミおばさんにポールは見下されていたにも関わらず。つまり初期のビートルズのストーリーは、単なるロックンロールの進化の顛末ではなく、古き英国的階級システムの段階的変化の話なのである。


この本のハイライトでは心を揺さぶられ、マッカートニーの強力なセンスに出くわす。イレブンプラス(注1)をパスしたあとに、リバプールインスティテュートで過ごした学生時代、ロンドンのセントジョンズ・ウッドで自分自身のために構築した、芸術家気取りの上品な結婚前の暮らし、1980年にマリファナ所持により逮捕され、日本の拘置所で過ごした10日間。この間、彼はどうやら共同シャワーを利用することにして、「When the Red Red Robin Comes Bob-Bob-Bobbin' Along」のような彼の父が愛した古いスタンダードナンバーの合唱会を、定期的にリードしたらしい。マッカートニーと後の妻リンダが、他の人間が不可能な状況だとみなしていたさなかに家庭生活を維持する才能についての描写もある。長く疎遠になっている仲間によると、「あんなに素晴らしい親はそれまで見たことがなかったし、その後も見たことがない」。


結果、この伝記はディテールに満ちており、完成されている。しかしながら、三つの大きな問題がある。ひとつ目は、物語がビートルズの盛衰にさしかかると、お話をマッカートニーの見方から語るという着想から離れがちになってしまうこと。そこで私たちが目にするのはよく知られているサーガだ。二番めに、ノーマンは自分の主題を様々な変遷―アイルランド移民の歴史や、リバプールと1960年代の社会文化的な推移―の中に置くのは上手いが、記録に残っている音楽について、むしろデイリーメールの署名記事風に書く傾向がある。セックス・ピストルズの『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』は断じて「国家の金切り声のパロディ」ではないし、ケイト・ブッシュの「この世のものとは思えないむせび泣き」が『嵐が丘』ではないし、オノ・ヨーコの耳を切り裂く金切り声は「明白にノーマル」などではない。これらの奇妙なタッチは、彼の主題(ポール)のキャリアと作品についても適用される。例えば、「グラムロック」という単語が何を示すか知っている人ならだれでも、マッカートニーのビートルズ後の乗り物であるウイングスが、決してそうではないことがわかるはずだ。


これは、おそらくこの本の最大の欠点にほぼ結び付くはずだ。マッカートニーの才能を無視しているのだ。彼の取材対象の、度肝を抜く、草分け的なベースプレイへの評価が全く見られないことは、あるいは最大の怠慢であり、不可解だ。同様に、1964年ごろに花開き、間違いなく1969年に―過小評価されているがアビーロードとレット・イット・ビーでの働きで―ピークに達した作曲の才能についても、到底十分な注意は払われていない。それに関連して、マッカートニーの1970年代末と80年代を大きく定義した不振と真剣に向き合うことに失敗している。ノーマンはかつて、マッカートニーのアウトプットと「彼がやってみさえすればできる」ことのギャップを嘆き悔やんだ。もしかすると、今、ポールの「黙認」によって投じられた影のおかげで、ビートルズの解散後に次々にリリースされたものをただ説明するし、偽りの賞賛を与えることで、かえってそれらをこき下ろしがちになっているのかもしれない。


しかし、―マッカートニーのヘザーミルズとの不毛な結婚にささげられた骨の折れる80ページにもかかわらず―、ノーマンはなお、しょっちゅう誤解されがちな男についての、心を打つ研究を届けている。最も強く浮かび上がってくる意図は、こうも超現実的な人生を送ってきた人間にしては、マッカートニーは驚くべき「日常的な」モラルを長らく持ち続けてきたということだ。最初の4人の子どもたちをステイトスクール(公立校)に確かに通わせ、彼らをスポイルしないように注意を払った。報じられたケチな話の数々は、おそらくビートルズのキャリアの最後の最後において彼が証言しているように、幸福なカオスを過ごしたことに原因を帰することができるだろう。それは、ノーマンの彼の気前の良さについてのレポートによって相殺されて余りある。彼は、ホームタウンに選んだサセックスの地域病院を救うためのキャンペーンと新しい医療センターに100万ポンドを投じた。ハンブルグ時代のビートルズの古い仲間の11か月の娘の治療のためには、合計20万ドル(13万7千ポンド)を支払った。


結果として非常に異なった二つの人生を比べるのは、おそらくフェアではないが、次のように言える。レノンは、対照的に、毛皮のコートのコレクションのために用意されたエアコンの効いた部屋のある、裕福なニューヨークのアパートメントビルにこもって彼の晩年のほとんどをすごした。そして、しばしば占星術師やカバラ数秘術師にいわれた通りのことをした。その意味などでは、この本はなかなか消えない不均衡を正すものなのだ―最初の段階で物事を捻じ曲げた人物のひとりは筆者自身であるという興味をそそるねじれをもって。



(注1)このへんをご覧いただくか、「11プラス イギリス」とかでググってください
http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB


(余談)
私は評伝やノンフィクションの類は好きなのです。当然筆者の人間性が反映されるし、公平とは言い難いビューが提示されることも多いと思うのですが、それ込みで楽しんでいます(伝記作家その人の思想やポジションについても知っておく必要はありますが)。
詳しくはありませんが、英米のニュースや署名記事は立ち位置をはっきりさせますよね(違ったらすみません)。アンカーやライターがどういう色なのか知ったうえで、取捨選択して楽しむのがいいのかな、と私は思っています。色が乗った方が、断然、論としては「面白い」ですよね。そこから始まる議論もあるし。


ノーマン氏のビートルズ評伝については、アマゾン.jpのレビューだと歯牙にもかけられていないというか、感情的な批判が多かったように思えたのが気にかかります。上記のような音楽や才能への無理解があるから、ファン心理として、全否定したくなるのかな(わたしも5,6段目は訳しながらムカッとしました)。それとも、もしかしたら特にビートルズ世代の人(って言っていいかわかりませんが)にはノンフィクション作家を一段下に見る傾向があるのかもしれませんね。とにかく、自分で読んでみなければ。。


(さらに余談)
別に多くの本やインタビューを熱心に読む必要はないですが、ノンフィクション全般やライター全般を下に見たり、露骨に軽視する態度に出くわすとちょっと悲しくなります。確かに評論とは玉石混交なものかもしれませんが、感情を言葉で確認したり、思考と感覚の間を行ったり来たりしたい人間もいるのだよ。

たまに、音楽なんて曲がよければ作者や演者のバックグラウンドや人間性には興味がないとかいう意見を見聞きしますが、私にとっては本気で言ってるの?って感じです。音楽って究極的には作者や演者との対話ですよね?あまり文字によってミスリードされては本質を損ないますが、バックグラウンドを知ることは相手への理解の助けになると思っています。もちろん最終的には曲やライブを通じて自分で感じるものですが…(きちんと聞いていれば、あまりに的外れな評論は、そうとわかるはず)

富士ヒルクラ覚え書き(明日のためにその2)

前回のつづきです。相変わらず順不同です。


6.アップはだいじ

 ヒルクラにおいて、試走より大切なもの、それがアップだそうです。
 全体の距離が短いのに、体が暖まってない内に距離を行くことになってしまうから、と。

 今回、その辺をぐるぐる走ってアップするつもりだったのですが
 なぜか何もしてないのに時間がぎりぎりになってしまい、ほとんどアップなどできませんでした。
 パレード走行の1kmだけじゃ、足りなかったです。
 来年は、ローラー台なり早めに行くなりで、ちゃんとアップできる環境をつくりたいです。


7.時間に余裕を持とう!

 今回は北麓公園駐車場に停めたのが5:40ごろでした。
 荷物を預ける6:15には楽勝で間に合いましたが、その後3回トイレに行ったせいか(緊張しすぎ)
 ドリンクつくる位しかしてないのに、いつのまにかスタート5分前に!
 しかも計測チップがない!!


 車のカーペットにくっついているチップをなんとか発見し、急いでスタート地点に滑り込んだのが1分前!

 もうあんな思いはしたくないです。
 (っていうか、開会式とかも見たかったです…)

 そもそも、寝るのが遅くなったからって、朝4:15起きなのが間違ってます…


 ちなみに相方は、私より10分スタートが遅いこともあり、↑の間、たっぷりアップを行っておりました。。
 チップ紛失がわかる前、5分前で焦りまくる私に「まだ平気だって〜」。

 や、全然平気じゃないから!!5分前には着いていたい(それでも遅い)から!


 なんでもスタートは一番後ろからしたい+遅れたら次のグループで走ればいいじゃん派(!)みたいです…

 あなた、そんなだと人生にも遅刻するよ(もうしてる)という言葉をぎりぎり飲み込みました。。
 この点に関しては、本当に伴侶として不安であります。。


 しかも、チップが見つかり「じゃ行こうか」とか言いつつ、まだ自転車、ローラー台にセットされてますから!!(先に行くことを決めた瞬間)


 こういうときの天然って、本当萌えでもなんでもないと思いました。。


8.車を考えよう

 今回は自転車2台+ローラー台1台・ローラー用タイヤをインプレッサに乗せて行きました。
 前々日に箱根に泊まって遊んだせいか、荷物も多く、仮にローラー台をもう一台乗せようとすると結構厳しいです。


 自転車を積むの自体も結構手間取るので、来年は大きいバンとか借りてもいいかも? 


9.前日食べ過ぎない

 吉田うどんとほうとうはおいしいですが、腹八分目にとどめるのもありです。


大体こんなもんでしょうか。細かく気付いたことはまだありますが、初めてのヒルクラ、終わってみればもう最高でした!


来年に向けて、練習頑張るぞ〜!!

みぞおち呼吸法

今日のレッスンでは、完全呼吸法のあとに、みぞおち呼吸法というのをやりました。


ピラティスの胸式呼吸法とも違う、吸うときに肋骨をできるだけ前と上に広げてるもので、みぞおちから下は薄く薄く!

これが物凄くきつくて、臓器の存在を筋肉の下に感じます!


刺激が強かったようで、終わったあとはお腹がどよ〜んとしてます。


繰り返し練習する内に、内蔵がやわらかくなり→感覚が鋭くなり(神経の伝達がよくなる?)
→食事やお酒が入ってくるとすぐわかる→少量で満足+代謝はいいエコな体?になるそうです。
燃費いいのか悪いのか…w
自転車乗りにとってはよいことなのか、私程度のライダーでわかるか不明ですが、
僭越ながら身を持って検証してみたいと思います。w

しかし、この呼吸法、内蔵のマッサージには腹式とは違った意味でダイレクトに来ます!
圧をかける面が小さいので、重ねた掌底で肩を入れて押されているくらいの感じです。


そして、直後に猫のポーズをやったのですが、息が吸いやすかった!
吐くのは大丈夫なんですが、吸うのがどうもうまくできない感じがいつもあったのです。

みぞおち意識して、肋骨開くと、最後まで吸えるとわかりました。
腹筋に来るけどw

最近結構しっかり腹筋がついてきたので、ポーズが深まって本当に楽しいです。

オールスポーツ

今日は、早くもアップされた富士ヒルクラのフォトをごにょごにょする大仕事を終えて、若干気分が昂揚しています。

二人分+景色やらなんやらで100枚近くになりました…(無駄に拡大したのとかもハードコピーするから)。
加工はまだこれからなんですけどね…


佐渡の写真が大して多くなかったので、淋しくもそんなものなのかな〜と思ったら、何のなんの!


さすがは日本を代表する(?)サイクルイベントなだけありますね〜。


ばっちり写ってますよ( ゚∀゚)=3!!正面から!多数!超いいお顔で!

ちょっと感動するレベルできれいに撮ってくれてます。


斜め下からのアングル@コーナーで、「アシストにがっちり固められて走るエース」みたいにかっこよく撮って下さってる写真も!


やー、女子だからサービスしてくれたんでしょうか!

もしくは、見る側の思い入れでよく見えるんでしょうか!


うーん何枚も買っちゃいそうです。


カメラマンの方もたくさんいたし、相方の写真も去年より多かったし、もしかして撮影者の数が増えたのでしょうか?


そして、こんなに早くアップされたら、買う方も勢いで買ってしまいそう!鉄は熱い内に打てですな!